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Posted by 京つう運営事務局 at

2020年09月19日

「京都・四条大宮」 は第2の故郷

 
四条大宮の交差点 京の西のターミナルですね



 初めてブログを書きます。今後ともよろしくお願いします。最初は、私の第2の故郷「四条大宮」についてです。

 私は、大学生の4年間と社会人の1年間の計5年間、ここに住んだ。この場所こそ、「大学生としての暮らし」と、「京都市民としての暮らし」を満喫できたところなのだ。


四条黒門上る 奥まった路地がいいですね



錦通り黒門上る 京の町屋が今も残っています



蛸薬師通り黒門下がる 京の町屋からワンルームマンションに



 大学生の時は、苦学生であった。そもそも貧困家庭であったので社会通念上は大学進学をあきらめるべきところ、無理を押して進学したのだから当然のことであるし、それを覚悟していたところでもある。

 とても「バラ色の学生生活」などとはほど遠く、毎日が貧困・貧乏との闘いであった。参考書籍や教材が思うように買えなかったり、着る服も余裕なく「ダサい、暗い」といわれたが、とてもファッションどころではなかった(パンツとシャツを裏表前後にチェンジして4日間洗濯我慢して先送ってました。)。食生活にも事欠き空腹続きであった(三条会商店街の八百屋さんに大根の葉っぱをタダで恵んでもらったり、二条城の堀回りや三条大宮の公園に生えているタンポポやオオバコをとってきてゆでて食べたり、料理の本を見ながらおかずの味をイメージし、片栗粉をお湯に溶かした「おもゆ」すすったりしましたが、さすがにこれを1週間続けるとめまいがしましたね。)。そのため「ひもじさ」に耐性がついて、おそらく私には、縄文人のように「骨に入る飢餓線」が3本以上あるでしょう。そんなすざまじい貧乏学生生活も、今となってはいい思い出として昇華できている。

 それは「知る喜び」「出会える喜び」を通じて、今の自分が培われ「貧困に絶望することなく、立命館大学で4年間学ぶことができたからこそ、貧困のループから抜け出すことができた」からである。

 「建設は死闘、破壊は一瞬」という言葉がある。自分の経験からすると、心の「ありよう」として「努力を継続すること」は、貧困から抜け出すツールとなるものである。努力と結果は別であるということもあるだろう、だからといって、若い人には貧困から将来に絶望したり、「もうできないんだ、ダメなんだ」と自暴自棄になってもらいたくない。貧困に抗い、絶望に慣れることなく、継続して勉強や技術の習得・精進を積み重ねる中で、第3者を介在させて社会的支援を仰ぐことができれば、暗雲から光明が差しこみ、貧困を原因とする行き詰まりを乗り越える選択肢が用意されることになると信じてほしい。



 私が市民としてみた「四条大宮」は、京都の下町だ、家の周囲には、三条会商店街という京都一長いアーケードの商店街があり、その他糸の染物工場のほか、着物や和装小物を製造・卸売している家などがあり、市民の暮らしを垣間見ることができた。

蛸薬師通猪熊西入る 「しんし」ここらは染めの町です






三条会商店街 大学生の時お世話になった店が今も残る



 皆さんも、観光地だけでなく、四条大宮のような京都の下町も歩いてみてほしい、新しいものと古いものを共存させながら暮らしていることや、四季ごとに地域の祭りや行事を大切にする市民の心遣いなど、新たな発見をすると思う。

  
Posted by METRO ALIEN at 20:00